2009年02月04日
寒さ対策の秘密機器
暦では春です。
一時期のさむーい日々はだいぶ和らいできましたが、お山はまだまだおさむぅございます。
寒さ対策は万全のつもりですが、北国に比べるとすぅすぅする切ないわが家です。
エアコンは役に立ちませんので父親のマッサージの治療室以外にありません。
お湯もわく石油ストーブとファンヒーター&こたつがもっぱら大活躍です。
で、けっこう重要な役割の秘密機器があるのです。
わが家ではおなじみのこの装置。写真参照☆


さて、どうやって使うのでしょう。。。
答えはこちら>> 続きを読む
一時期のさむーい日々はだいぶ和らいできましたが、お山はまだまだおさむぅございます。
寒さ対策は万全のつもりですが、北国に比べるとすぅすぅする切ないわが家です。
エアコンは役に立ちませんので父親のマッサージの治療室以外にありません。
お湯もわく石油ストーブとファンヒーター&こたつがもっぱら大活躍です。
で、けっこう重要な役割の秘密機器があるのです。
わが家ではおなじみのこの装置。写真参照☆


さて、どうやって使うのでしょう。。。
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2008年08月16日
ショロさん送り
お盆がすぎましたね。
久しぶりに本宅へいってきました。
うちの父親は阿蘇でも珍しい兄弟が1ダース越えの大家族。
お盆の15日と言えば、本宅に集り大宴会です。
子供の頃、親の全盛期の頃はそれぞれの家族が一挙に集結して多いときは50人以上が集ってました。
イトコの中でいちばん末っ子のσ(^^)はイトコの子供たちと一緒に広い和室を走りまわり大騒ぎしてたもんです。
イトコ同士でもそれだけ歳の差があるくらいなので、σ(^^)が生まれたときにはすでに祖父も祖母も他界。物心ついたときからお盆の15日は親戚が集って、飲み会や花火をして、日が変わる直前におじいちゃんとおばあちゃんを近くの六地蔵さんまでお見送りすると決まってるのでした。
高校卒業して東京へいってからは、帰省してもなかなか寄り付かずご無沙汰しっぱなしで、親の世代もだんだん年を取り集る人数もめっきり減ってしまいました。
今日は早く家に帰り着いたことだし、せっかくだから仏壇に手を合わせとこうと親と一緒に本宅へ。
人数は減ったけど、仏壇の前でみんなでお酒を飲みながらたわいもない話をくりかえし、さっさと帰るつもりがなんとなく最後まで・・・。
会ったこともない爺ちゃんは、阿蘇に残った息子たち全員に家を持たせて亡くなったストイックで頑固な職人です。戦争中も大家族なのにさらに疎開してきた人も受け入れたような情のあつい人でもあります。
そんな爺ちゃんは、きっと寡黙だったけど家族想いの人だったのだろうと思うので、みんなで集って酒を酌み交わすのがいちばんの供養なのだろうなぁ・・・なんて思いました。
そんなこんなで、けっきょく六地蔵さんまでお見送りしてきました。
六地蔵さんまでは、誰かが代表でおじいちゃんとおばあちゃんを背中におぶって歩きます。
阿蘇のショロさんは芋の葉っぱにくるんだ団子をもって、茎の長い芋の葉を杖にして帰っていくと言われてるので、一緒にお供えもしてきました。今頃それもって帰っていってる頃かなぁ。
きっとイトコの中で唯一見届けてない孫であるσ(^^)は、爺ちゃんの最強のバックアップを受けてるでしょうから、帰っていってもきっとそばで喝を入れながら見守ってるんでしょうけど。
爺ちゃん、お手柔らかにお願いしますm(__)m
久しぶりに本宅へいってきました。
うちの父親は阿蘇でも珍しい兄弟が1ダース越えの大家族。
お盆の15日と言えば、本宅に集り大宴会です。
子供の頃、親の全盛期の頃はそれぞれの家族が一挙に集結して多いときは50人以上が集ってました。
イトコの中でいちばん末っ子のσ(^^)はイトコの子供たちと一緒に広い和室を走りまわり大騒ぎしてたもんです。
イトコ同士でもそれだけ歳の差があるくらいなので、σ(^^)が生まれたときにはすでに祖父も祖母も他界。物心ついたときからお盆の15日は親戚が集って、飲み会や花火をして、日が変わる直前におじいちゃんとおばあちゃんを近くの六地蔵さんまでお見送りすると決まってるのでした。
高校卒業して東京へいってからは、帰省してもなかなか寄り付かずご無沙汰しっぱなしで、親の世代もだんだん年を取り集る人数もめっきり減ってしまいました。
今日は早く家に帰り着いたことだし、せっかくだから仏壇に手を合わせとこうと親と一緒に本宅へ。
人数は減ったけど、仏壇の前でみんなでお酒を飲みながらたわいもない話をくりかえし、さっさと帰るつもりがなんとなく最後まで・・・。
会ったこともない爺ちゃんは、阿蘇に残った息子たち全員に家を持たせて亡くなったストイックで頑固な職人です。戦争中も大家族なのにさらに疎開してきた人も受け入れたような情のあつい人でもあります。
そんな爺ちゃんは、きっと寡黙だったけど家族想いの人だったのだろうと思うので、みんなで集って酒を酌み交わすのがいちばんの供養なのだろうなぁ・・・なんて思いました。
そんなこんなで、けっきょく六地蔵さんまでお見送りしてきました。
六地蔵さんまでは、誰かが代表でおじいちゃんとおばあちゃんを背中におぶって歩きます。
阿蘇のショロさんは芋の葉っぱにくるんだ団子をもって、茎の長い芋の葉を杖にして帰っていくと言われてるので、一緒にお供えもしてきました。今頃それもって帰っていってる頃かなぁ。
きっとイトコの中で唯一見届けてない孫であるσ(^^)は、爺ちゃんの最強のバックアップを受けてるでしょうから、帰っていってもきっとそばで喝を入れながら見守ってるんでしょうけど。
爺ちゃん、お手柔らかにお願いしますm(__)m